釈迦は、現代の宗教が説くような「私を信じなければ不幸になる。地獄に落ちる」という類の言説は一切していなかったという。釈迦は当時のバラモンや沙門たちが共有していた文化の中で生きてきたため、確かに仏教は輪廻思想から自由でないが、釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決だった。 苦悩は執着によって起きるということを解明し、それらは正しい行ない(八正道)を実践することによってのみ解決に至るという極めて常識的な教えを提示することだった。従って人生問題の実際的解決は、釈迦に帰依しなくても実践可能であり、釈迦は超能力者でも霊能者でも、増して「最終解脱者」でもなく、勿論「神」のような絶対者でもなかった。しかし人々のカリスマ的人物を求める煩悶は何時の時代も変わりがなく、死後の釈迦は次第に神格化される。例えば釈迦の骨が崇拝の対象となったり、釈迦の言説とされる教典が信仰の対象となったりという、釈迦が最も忌避した「執着」へ人々は回帰した。そこにあるのは「象徴(シンボル)の病」とされる。
(引用元: 釈迦 - Wikipedia)