2011年11月26日
2011年11月13日
2011年11月7日
2011年9月25日
共産党に従順だった子供たちは出世を重ね、今は共産党の幹部になっている
老人は1960年代後半にアメリカへ移住してきた移民一世だった。
元は中国のとある省の生まれらしい。
老人はある事件をきっかけになけなしの蓄えを全て賄賂につぎ込んで中国を脱出し、着の身着のままアメリカへと移民してきた人だった。
947: 2/3:2011/05/17(火) 20:23:38.61 ID:4P2HcFDZ0
その事件とは、1966年から中国に吹き荒れた文化大革命に関係するものだった。
文革当時、老人は結婚したばかりの奥さんとまだ小さな子供の3人で小さな靴屋を経営していたらしい。
老人の話によると、文革が起きたといっても都市部で小さな靴屋を経営している老人には当初殆ど影響が無く、町中でプロパガンダの広告や街宣車を見かけても何か遠くで起きている出来事のようにしか感じなかったとか。
しかし、「反革命的」という言葉を聴くようになってから自分の周囲の何かがおかしくなり始めたらしい。
最初は、近所にあったお寺の僧侶が連行されたという話だった。
その僧侶は結局帰ってこなかったという。
僧侶が連行されたのを皮切りに、近所の教師や医者や金持ち、政府に批判的な人などが次々と「連行」されていなくなり始めた、そして、ついにはそれらとは全く関係の無い一般人も次々と「連行」され始めた。
老人には何が起きているのかわからず、ただただ恐ろしく自分達の身にこの不幸が降りかからないよう身を潜めるしかなかったという。
そんなある日、老人は店に来た客からある噂を聞いた、「どうも連行された人達は子供たちに密告された結果らしい、子供たちは自分の親や学校の教師ですら躊躇無く“密告”している」と。
老人には信じられなかった、子供たちの何人かは老人も知っていて親と共に自分の店に靴を買いに来たこともある、そんなごく普通の子供たちが、自分の親や教師を密告している、あまりにも現実離れしていた。
しかし、老人の町にも「紅衛兵」と呼ばれる集団がやってくると老人もその事実を信じざるをえなくなったらしい。
そんなある日、老人が国を捨てる決定的な出来事が起きた。
その日、共産党からの命令で老人はある学校に生徒用の靴を納入しに行く事になった。
老人が荷車に靴を載せて学校につくと、学校の裏庭から何かを調理する良い臭いがしてきた、臭いが気になった老人は、荷物を係りの人に渡すと何気に裏庭に回ってみたのだという。そして、そこで老人は信じられない光景を目にした。
948: 3/3:2011/05/17(火) 20:24:03.56 ID:4P2HcFDZ0
そこにあったのは、うずたかく積み上げられた死体と、嬉しそうにそれらを解体し調理する子供たちの姿と、無表情に子供たちにあれこれと指示を出す地元の共産党員の姿だった。
死体の中には、老人のよく知っている医者の姿もあったらしい。
(実際にはかなり生々しく、具体的に“調理の様子”が語られたのですが、あまりにも酷い内容なのでカットします)
老人はその場を離れると、その場では何事も無かったかのように振る舞い学校から逃げ出した。
そして、人気の無いところに行くと胃液しかでなくなるまで吐き続けた。
老人は今でもあの光景を夢に見て夜中に目が覚めるのだという。
その夜、家に帰ると老人はなけなしの蓄えをかき集め、奥さんには殆ど事情も話さず夜逃げの準備をさせ、その日の晩のうちに家族で町から逃げ出した。
その後、老人は仕事のツテや昔アメリカに移民した親戚などを頼り、貨物船の船長に賄賂を渡して密航し、タイ経由でアメリカに移民したのだという。
そして、その後も共産党に怯えながらアメリカの田舎でひっそりと暮らしてきたらしい。
恐ろしい話だった。
文化大革命がかなり酷い事件だったとは知っていたが、ここまでとは知らなかった私は、老人の話をただただ聞くしかできなかった。
老人は最後にこう言った。
「当時人間を解体し食っていた子供たちは今どうなっていると思う?」と。
私が「わからないです」と答えた。
すると老人は、その後ある程度外国との手紙のやり取りなどが自由になり、中国に残っている知人などから聞いた話によるとと前置きし、「大半は紅衛兵となりその後地方へ追放されたらしいが、共産党に従順だった子供たちは出世を重ね、今は共産党の幹部になっている」
そして、こういう事は当時中国全土で起きていたらしいのだという。
老人は続けた「当時の子供たちは今は40代後半から50代、いずれ共産党の幹部として国を動かす立場になるだろう、人としての第一線を超えてしまったやつらが国を動かす事になるのだ」と。
老人は立ち上がると去り際にこういった
「あいつらを信じてはいけない、あいつらは悪魔だ、日本人ならこの事は決して忘れてはいけない」と。
以上、これが当時私が老人から聞いた話の全てです。
2011年9月23日
2011年9月11日
2011年8月16日
村民委員会「安全だよな?」 住民「……安全です、満足です」
江西省はこのほど、全省範囲で「一般大衆の暮らしにおける安全感」の任意調査を実施した。同省吉安市吉安県登龍郷朗石村では、行政の幹部が住民を脅して「安全を感じる」などと回答させていたことが分かった。中国新聞社が報じた。
調査は、県や市などの行政機関から委託された業者が電話を利用して実施した。村の行政組織である村民委員会が各世帯に通告書を配り、決められた回答をするよう強要していた。委員会高級幹部は「おとなしく言うことを聞かないと、かならず処罰してやる」などと強迫の文句を口にしていたという。
同村の村民委員会は住民に対して「大衆の安全感ということが分かっていますか」の問いには「分かっています」、「安全感の問題について、あなたは満足していますか」に対しては「満足しています」、「何か提案がありますか」には「ありません」などと回答するよう求めた。
ラベル:
中国
楽天市場:
2011年7月26日
2011年7月24日
2011年7月7日
2011年7月3日
2011年6月30日
2011年6月19日
【南沙諸島問題】 大国である我が中国を挑発するベトナムはけしからんアル
我愿和我的学生参战。请领导批准。我们愿为祖国而献出我们的生命。私も私の学生達と一緒に参戦しよう。許可をお願いする。
祖国の為に私達の命を捧げる覚悟だ。
来吧,中国从来不惧怕战争!来い。中国は戦争など恐れない!
越南有胆量就来打一仗。我们的先锋队可不是吃素的。ベトナムは度胸があるなら攻めて来い。我ら前衛部隊の恐しさを教えてやる。
求一场战争戦争を待ってたぜ。
求一场オレもだ。
打!!!行くぜ!戦争だ!
你上前线不?↑アンタが前線に行くんだよな?
你先上。お先にどうぞ。
顶,你先上どうぞ どうぞ!
楼下先上どうぞ!どうぞ!どうぞ!
你放心去吧,你女儿和老婆我来照顾。
安心して行って来い。娘と女房はオレに任しとけ。
2011年6月5日
2011年5月25日
2011年3月30日
2011年3月20日
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