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2011年9月30日

地球に優しい食文化ニダ

143 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/11(木) 20:43:34 ID:yI9I1nin
昔、俺がまだお花畑サヨクだったころ、新大久保に何件も韓国料理店を持ってる在日の娘と付き合ってたことがある。
で、彼女はあちらこちらの店に顔が利いたんで、あっちこっちで朝鮮メシを食ってたけど、いくつもの店の厨房で、残飯の再利用をリアルに見た。


ジャジャメンの黒いソースなんかをゴムベラでかき集めて大きな器に回収し、次の注文の際にはそれを再加熱して使ってた。
辛いチャンポン麺とかの汁や、チゲの残り汁も、ザルで漉して汁の種類ごとにそれぞれ大きな器に回収。


白身魚の刺身なんかも、残ったヤツは平気で盛り直して次の客へ。
韓国料理屋で韓国人がヒラメとかの刺身を頼む時って、だいたいが一尾分、まるごと造りにさせるんだよね。
それを酢コチュジャンで食うわけだけど、酢コチュジャンが付いてる部分とかは、洗って再利用。


とにかく、液体系は鍋に戻して再利用。形があるモノは、洗って形が残れば再利用。
ご飯類も残ったやつをボウルに回収して、クッパなんかに普通に使う。


で、彼らはそれを問題だと思っていない証拠に、いわゆる「賄い飯」なんかをそういう残飯を利用して作って厨房で普通に食ってる。根本的な衛生観念が違うんだと感じた。


思えば、ブデチゲとかも元は在韓米軍が捨ててたスパムなんかの残飯を集めて食ってたチゲがルーツだし、ヤンプニビビンパとかも朝鮮時代に姑にイビられた嫁さんが家族と一緒に食事が出来ず残飯を器に集めてコチュジャンで濃いめに味付けした混ぜご飯がルーツだし、小さい大根で作られるチョンガクキムチなんかも、昔の韓国で売り物にならないような捨てられてるクズ大根を独身男が拾ってキムチにしたってものが始まりだし、なんだかんだで韓国朝鮮料理って残飯文化なんだよね。

2011年9月25日

共産党に従順だった子供たちは出世を重ね、今は共産党の幹部になっている

老人は1960年代後半にアメリカへ移住してきた移民一世だった。
元は中国のとある省の生まれらしい。
老人はある事件をきっかけになけなしの蓄えを全て賄賂につぎ込んで中国を脱出し、着の身着のままアメリカへと移民してきた人だった。


947: 2/3:2011/05/17(火) 20:23:38.61 ID:4P2HcFDZ0
その事件とは、1966年から中国に吹き荒れた文化大革命に関係するものだった。
文革当時、老人は結婚したばかりの奥さんとまだ小さな子供の3人で小さな靴屋を経営していたらしい。
老人の話によると、文革が起きたといっても都市部で小さな靴屋を経営している老人には当初殆ど影響が無く、町中でプロパガンダの広告や街宣車を見かけても何か遠くで起きている出来事のようにしか感じなかったとか。


しかし、「反革命的」という言葉を聴くようになってから自分の周囲の何かがおかしくなり始めたらしい。
最初は、近所にあったお寺の僧侶が連行されたという話だった。
その僧侶は結局帰ってこなかったという。
僧侶が連行されたのを皮切りに、近所の教師や医者や金持ち、政府に批判的な人などが次々と「連行」されていなくなり始めた、そして、ついにはそれらとは全く関係の無い一般人も次々と「連行」され始めた。


老人には何が起きているのかわからず、ただただ恐ろしく自分達の身にこの不幸が降りかからないよう身を潜めるしかなかったという。
そんなある日、老人は店に来た客からある噂を聞いた、「どうも連行された人達は子供たちに密告された結果らしい、子供たちは自分の親や学校の教師ですら躊躇無く“密告”している」と。


老人には信じられなかった、子供たちの何人かは老人も知っていて親と共に自分の店に靴を買いに来たこともある、そんなごく普通の子供たちが、自分の親や教師を密告している、あまりにも現実離れしていた。
しかし、老人の町にも「紅衛兵」と呼ばれる集団がやってくると老人もその事実を信じざるをえなくなったらしい。


そんなある日、老人が国を捨てる決定的な出来事が起きた。
その日、共産党からの命令で老人はある学校に生徒用の靴を納入しに行く事になった。
老人が荷車に靴を載せて学校につくと、学校の裏庭から何かを調理する良い臭いがしてきた、臭いが気になった老人は、荷物を係りの人に渡すと何気に裏庭に回ってみたのだという。そして、そこで老人は信じられない光景を目にした。


948: 3/3:2011/05/17(火) 20:24:03.56 ID:4P2HcFDZ0
そこにあったのは、うずたかく積み上げられた死体と、嬉しそうにそれらを解体し調理する子供たちの姿と、無表情に子供たちにあれこれと指示を出す地元の共産党員の姿だった。
死体の中には、老人のよく知っている医者の姿もあったらしい。
(実際にはかなり生々しく、具体的に“調理の様子”が語られたのですが、あまりにも酷い内容なのでカットします)


老人はその場を離れると、その場では何事も無かったかのように振る舞い学校から逃げ出した。
そして、人気の無いところに行くと胃液しかでなくなるまで吐き続けた。
老人は今でもあの光景を夢に見て夜中に目が覚めるのだという。


その夜、家に帰ると老人はなけなしの蓄えをかき集め、奥さんには殆ど事情も話さず夜逃げの準備をさせ、その日の晩のうちに家族で町から逃げ出した。


その後、老人は仕事のツテや昔アメリカに移民した親戚などを頼り、貨物船の船長に賄賂を渡して密航し、タイ経由でアメリカに移民したのだという。
そして、その後も共産党に怯えながらアメリカの田舎でひっそりと暮らしてきたらしい。


恐ろしい話だった。
文化大革命がかなり酷い事件だったとは知っていたが、ここまでとは知らなかった私は、老人の話をただただ聞くしかできなかった。


老人は最後にこう言った。
「当時人間を解体し食っていた子供たちは今どうなっていると思う?」と。


私が「わからないです」と答えた。
すると老人は、その後ある程度外国との手紙のやり取りなどが自由になり、中国に残っている知人などから聞いた話によるとと前置きし、「大半は紅衛兵となりその後地方へ追放されたらしいが、共産党に従順だった子供たちは出世を重ね、今は共産党の幹部になっている」
そして、こういう事は当時中国全土で起きていたらしいのだという。


老人は続けた「当時の子供たちは今は40代後半から50代、いずれ共産党の幹部として国を動かす立場になるだろう、人としての第一線を超えてしまったやつらが国を動かす事になるのだ」と。


老人は立ち上がると去り際にこういった
「あいつらを信じてはいけない、あいつらは悪魔だ、日本人ならこの事は決して忘れてはいけない」と。


以上、これが当時私が老人から聞いた話の全てです。

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2011年5月7日

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2011年1月23日

半島系の連中は理由があってクチャラーなんだとか

1. 他人に見せ付ける為
自分は食べるものに困っていない、裕福なんだよと自慢する為、口を開けてクチャクチャ音をたて、食べているところを他人に見せ付ける。

2. 相手を信用している証拠
他人の作った料理に毒が入っていない、若しくは自分が作った料理に毒が入っていないことを相手に知らせる為、口を開けてクチャクチャ音をたて、食べているところを他人に見せ付ける。

2010年12月14日

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2010年12月7日

これは100パーネントドッグフードではございまねん

2010年11月29日

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